| ２ 「沢村さん！ ご招待下さってありがとうございます！」 「こちらこそ。桜井さん、和田さん、よくいらして下さいました」 ──その日の夜、篤史は、岡島達とともにハムシーンの王宮でのパーティに出席していた。 もともと日本との友好を積極的に進めるハムシーンにとって、日本企業との提携は大歓迎だった。更に王宮の美しさを知ってほしいとの国王の意向もあり、こうした場が設けられ、王族が出席することもよくある。ただし主の国王は高齢の為、乾杯と歓迎の挨拶の後、すぐ部屋に引き取っている。 篤史はそっと、少し離れたところで別の日本人と挨拶しているファイサルの様子をうかがった。ファイサルは本当に忙しいらしく、パーティが始まる直前に王宮に戻ってきて、国王に笑顔でたしなめられていたが、今はすっかり落ち着いた振る舞いをしている。来客に敬意を示す為、豪奢な金の刺繍の入ったローブに着替え、父の形見のジャンビーヤを携えているが、そうすると一段とまた男ぶりが際立っていた。篤史は思わず胸をときめかせたが、同時になんだか不安になってしまった。 パーティは立食形式の気取らないもので、あまり戒律の厳しくないハムシーンらしく、招待客のためにアルコールも用意されていたし（イスラム教では基本的に飲酒を禁じている）、ハムシーンや日本人の女性たちも大勢招待されている。パートナーを同席させている人間も多かったし、女性の経営者も多い。その中でも妙齢の女性は皆、ファイサルに熱い視線を投げかけているのである。 ──でも、それは当然だよね……── 篤史は心の中でため息をついた。ファイサルは救国の英雄で軍務大臣、しかも油田のオーナーで、さらに若く魅力的で独身、なのである。となれば女性達が彼を放っておくわけがない。いや男性だってもしかしたら……。自分だってそれまで、男性に恋したことは一度もなかったのだから。 ──なんだって彼ってば、本当に何もかも持っているんだろう。実力、地位、財力、外見、それら全部がパーフェクトなんて……── 篤史は思わずため息をつく。とても贅沢な悩みだとは判っているのだが、何もかも持っている恋人、というのは本当に困る。何をしてあげたいかわからなくなってしまうのだ。 「この度は急に頼んだにもかかわらず、こちらの席にご招待下さって本当にありがとうございます」 揺れる心を抑え、篤史は強いて今、話している相手に笑顔を向けた。 「……いえ、『美月』の方が、僕の研究にご興味を持ってくださるなんて光栄です」 「こちらこそ。以前も話しましたが私は沢村さんの、環境破壊についての御作を拝読し、感動していましたから。こうしてお近づきになれ、更にお仕事もご一緒出来るとは本当に嬉しいです。あのバラの香水のレシピを作らせていただけるなんて、光栄です」 篤史とそう年の違わないこの二人は、桜井悠里と和田将吾といい、日本を代表する洗剤や化粧品のメーカー「美月」の社長と専務である。以前から篤史の研究している植物に関心を示していたため、既に何度か会っているが、同じ日本人、更に年が近いため、二人ともすっかりうち解けていた。 ちなみに二人はスーツ姿だが、篤史は白の、銀の刺繍つきの絹のローブに着替えている。一度、国王の前で着て誉められた為か、ファイサルはその後、生地や刺繍の色や意匠が異なるものをいくつも篤史のために仕立ててくれたのだ。この砂漠の国では、こういった服装で過ごすのが何より楽なので、篤史は普段からもうローブ姿で過ごしている。もっともこの格好で行くと数日前に告げた時は、ファイサルは何故か不機嫌になってしまい、篤史はそのことも少し心配だったのだった。 三人は少しの間、今回の篤史の研究していることについて談笑していたが、ふいにその時、悠里の携帯が鳴った。どうやら本社から緊急のメールが転送されたらしい。 「すみません、少々席を外してもよろしいですか」 悠里の問いかけに、篤史は笑顔でうなずいたが、将吾の方は急に心配そうな表情を浮かべた。 「社長、私が代わります。ここのところスケジュールが立て込んで、お疲れでしょう」 「大丈夫ですよ。専務こそ忙しかったでしょう。あなたはここにいて下さい」 悠里は事もなげに笑顔で首を振り、篤史に一礼し出ていった。将吾は彼を心配そうに見ている。 ──あ、この二人、やっぱり……── その視線を見て、篤史がふとそう思った時、 「あの……すみません、こんなことを突然聞いて、驚かれるかもしれませんが」 いきなり向き直った将吾に真剣な眼差しで聞かれ、篤史はぎょっとした。 「は、はい？ なんでしょう」 「あの……年下、というのは、やはり頼りなく見えるのでしょうか」 「はっ？」 篤史が目を丸くすると、将吾は非常に慌てた顔になり、いえ、いいですと首を振った。それを見て、篤史はなんだかおかしくなって、そっと小声で聞いた。 「あの、もしかして……和田専務は桜井社長とおつき合いしていらっしゃるのですか？」 「……！」 聞いたとたん、相手は飛び上がりかけ、ついで真っ赤になった。あれ、気づかれないと思っていたんだろうか、と篤史は意外に感じた。他人の僕でも一目でわかるくらいなのに。いつもは年齢にしてははるかに落ち着いた、堂々とした男なのに、そんな仕草がおかしかった。 「──おわかりになりますか」 声をひそめて聞かれ、篤史は頷き、自分も小声で答えた。すると自然と二人が接近した形になる。 「はい。お二人の様子を見ていたら、何となく。でも、ご安心下さい。誰にも申しませんから」 「あ、有り難うございます。私は何を言われようと構わないのですが、ゆ……社長は立場もあり、迷惑をかけたくないので……。ですが沢村さんも、ファイサル大臣と愛し合っておいでですね？」 聞いた瞬間、今度は篤史が飛び上がりかけた。あわてて将吾が手をあげてそれを抑える。 「いや、私も誰にも申しません。ただその……申し訳ございません、こんなことはなかなか周囲に相談できなくて。私も、随分と悩んでしまったもので、同じように同性同士で愛し合っている方なら判っていただけるのではないかと……それで大変失礼ながら、不躾にお伺いしてしまったのです」 「は、はい。僕でお力になれることでしたら……。でも、どうかこのことは内密に願います。僕は良いのですけれど、ファイサルは立場があってまずいですので……」 「無論です。……その、沢村さんも、ファイサル大臣より年上だと記憶しておりますもので、それでご相談させていただく次第ですが……。大臣はお若いのに、大層な地位と財力をお持ちです。やはり彼ほど実力がなければ、年下の男とは頼りなく感じてしまうのでしょうか。実は、他の経済の第一線で活躍する皆さんにもお会いし……自分の至らなさを改めて思い知らされた次第なのです」 篤史は目を瞠った。将吾はビジネスは素人の篤史にもわかるほど、完璧な様子で悠里をサポートしていたし、部下達にも信用されていた。とてもそんな悩みを持っているとは思えなかったのだ。 ──でも、ファイサルの方がやっぱりずっと、素敵だけど……── こっそり心で呟きながらも、篤史はこの青年に好感を持った。愛する人の為に自分のレベルを上げようと、懸命に努力しようとしているのだから。それに、同じビジネスパートナーとして、恋人を対等にサポートできる彼が羨ましくもあった。自分はファイサルに対し、そうは出来ないからだ。 「あの、そんなにご心配なさらなくても……。桜井さんはとてもあなたのことを、その、愛して、信頼されているご様子じゃないですか。あなたもとても立派にお仕事をされているようですし。それに……僕はむしろ、悠里さんのお気持ちがわかるような気がするんですが」 「はっ!?」 相手はまた目を瞠った。篤史はちょっと困ったような笑みを浮かべた。 「僕はしがない研究者ですから、一流企業の社長である桜井さんと一緒にするのは失礼なことだと思いますが……年下の素敵な恋人って、とても嬉しいけれど、同時に不安でもあるんです。自分より若いから、彼はこれからも成長する、更に素敵になって自分を追い越してしまうかも、とか……」 言いながら、篤史の瞼の裏には、ファイサルの精悍な姿がよみがえって来た。彼のことを思うたびに、溢れるような歓びとともに、かすかな切なさがこみ上げてしまうのだ。彼の若さが心の底から愛おしく、そして心配でもあり、同時にそんなことを考えてしまう自分が少しいやだった。 「そんなことはあり得ません！」 とたん、将吾がきっぱりと断言した。今度は篤史が目を瞠った。 「私が、悠里以外を愛することなどあり得ません！ それに、私こそ一緒にしたら失礼ですが、ファイサル大臣もそうだと思います。同じ年上の恋人を持つ身としてわかるんです。私もビジネスで何度かお会いしていますが、彼はいつもあなたのことばかり話しておいでですよ、それに確か……」 「えっ……？」 「──アツシ、なんの話をしているんだ」 その時、声が間近で聞こえて篤史ははっとした。いつの間にそばにいたのか、ファイサルが自分の肩に手をかけ、じっとこっちを見おろしていたのだ。 |