| １ 「──アツシ、見て見て！ きれいだよ、アツシの言うとおり、いっぱい咲いたよ！」 ファイサルは小さな手に力を込め、沢村篤史の手を引いた。もう片方の手で中庭の入り口を示す。 「ああ、本当だ、日に光って眩しいね」 そのはしゃぎぶりに、十八歳の篤史は思わず微笑んだ。ファイサルの父、カリムの邸は美しく広大だった。特に広い中庭は中心に泉を設え、緑豊かで、この砂漠の国では大変贅沢なものである。 ハムシーンに留学した篤史は、首都ハイファのこの邸に身を寄せ、近くの大学に通っているのだ。 その、舘の玄関の間であるアトリウムから、中庭に抜ける入り口近くには、白いつるバラの生け垣が作ってあった。つるバラはその玄関と中庭の間の、白い石造りの柱にまで延び、柱を覆って、やや小ぶりだが美しい花の壁と、柱とをこしらえている。その花がファイサルのお気に入りなのだ。 篤史の言葉に、ファイサルはさらにはしゃいだ様子で、ぱたぱたと生け垣に駆け寄った。 「すごい、すごい！ 数え切れないくらい咲いているよ、昨日よりずーっときれいだね。本当にお花って、一日で一斉に咲く時ってあるんだね！」 「そうだね、それに、ほら……」 篤史はひょい、とファイサルを抱え、柱のやや高い場所に咲いたバラの花に顔を近づけてやった。 「この花はバラだから、とてもいい匂いもするんだよ」 「うわあ、ほんとだ！ ……ねえアツシ、俺、このお花大好きだよ！」 ファイサルは素直に匂いを嗅ぎ、はしゃいで篤史を振り返った。朝の光がその藍色の瞳を輝かせる。無数の花が甘い匂いを放っている。彼の笑い声に、篤史も笑って花の中で彼を抱きしめた……。 「──アツシ？」 ……ふいに、低く優しい声が耳元で響き、はっと篤史は目を覚ました。 「えっ……？」 とたん、美しい藍色の瞳に間近に見え呆然とする。自分がどこにいるのか、一瞬わからなかった。 「俺の名を呼んでいたぞ。大丈夫か」 けれど力強い腕の感触と肌の温もりに、すぐにうっとりするような歓びがこみ上げてくる。 「あ、うん。君の夢を見ていたんだ。小さい頃の君の……。白いバラの花が咲いていた」 言いながら、そっと彼の広い背に両手を絡める。ファイサルは篤史の言葉に、微かに眉を上げたが、すぐに笑顔で抱きしめ返してきた。自分よりも遥かに強い力だった。 二人は全裸だった。昨夜繰り返し愛し合い、その時の熱がまだ残ったままの身体が強く触れ合う。 閉ざされた窓の外で鳥の鳴く声が聞こえた。もう夜は明けているのだ。 ──夢みたいだ。彼が自分を抱きしめてくれるなんて。笑顔で見つめてくれるなんて……── すれ違っていた想いが再び通じ合ってから、すでに半年が過ぎている。けれど時々、篤史は未だに、自分が夢を見ているのではないかと思う時がある。十年ぶりに再会した彼とともに、この砂漠の国に戻ってきた時は、こんなに幸せな日々が訪れるとは考えもしなかった……。 「どうした、アツシ」 その思いが、顔に出ていたのだろうか。すぐにファイサルがこちらをのぞき込み、再びそう聞いてくる。その瞳には気遣いと、それ以上の熱い想いとが浮かんでいた。 「……ううん、なんでもない」 篤史はうっとりとその瞳に見とれ、彼の広い胸に頬ずりした。温もりが全身に広がっていく。 夢ではない。この温もりも、彼の笑みも、そして胸に溢れるようなこの幸福感も。 こうして彼を愛し、愛されていると実感するたびに、篤史はその一瞬一瞬が宝石のように美しく、大切なもののように思えるのだった。 ファイサルは相変わらず多忙だし、篤史もまた、ハムシーンの王宮内に作られた研究室で、大学時代の仲間を呼び寄せ、砂漠の緑地化の研究に本格的に取り組むようになってからは大忙しになっていたけれど、想いが通じ合ってから、二人は毎晩愛し合い、同じ時を過ごしているのだった。 「──アツシ！」 ファイサルは、そんな篤史を見つめていたが、ふいに真剣な眼差しになり覆いかぶさってきた。 「え、ファイサ、ん……」 驚いた声は口づけに阻まれてしまった。すぐに彼の熱い舌がすべり込み、口内を隈無く探り回り、愛撫し始める。目覚めの挨拶にしては濃厚すぎる口づけに、篤史は恍惚としかけ、慌てて言った。 「ま、待ってくれ、ファイサル。もう朝……」 「待てない」 「んっ…ぁ……」 ファイサルは短く答え、再び篤史の唇を貪った。その感触に流されてしまいそうになった時、 ピリリリリリリリリ！ いきなり携帯の着信音が鳴ったので、はっとわれに返った。 ファイサルは露骨に顔をしかめたが、サイドテーブルに置かれた自分の携帯の表示を見ると、名残惜しそうに身を起こした。そして、篤史の身体にシーツを丁寧に掛けてから電話に出る。 「なんだ？ ──ああ、わかった。では今日、すぐに行く」 すぐに切り替えた様子で、てきぱきと応対しているファイサルを見て、シーツを巻きつけた篤史は思わず恨めしい思いで彼を見てしまい、けれどすぐまた、その姿にうっとりと見とれてしまった。 ──なんの話なのかな、よほど急ぎの知らせなんだね、携帯にかけてくるなんて……── 彼の携帯の番号を知っている者はごく少数で、かける場合もやはりごく緊急の時のみ、なのだ。 ファイサルは、アラブの新興国ハムシーンの救国の英雄であり、国王や一般の兵士にも信頼厚い軍務大臣である。さらにその上、国内外に複数の豊富な油田を所有する、優れた経営者でもある。従って毎日殺人的なスケジュールをこなしている彼に直接、連絡できる人間は非常に限られていた。 もちろん篤史はその番号を知っているし、ファイサルにもいつでもかけろよ、と言われているのだか、篤史の方であまり彼の邪魔をしてはいけないと思い、まだかけたことは一度もない。 ──それにしても格好いいな。僕よりも六つも年下なのに。差を思い知らされちゃうよ……── その時、今度は遠慮がちなノックの音とともに、部屋の外で声が響いた。アリだ。 「お早うございます。アツシ様、早朝に申し訳ございません。研究所からお電話なのですが」 「あ、はい、繋いでください。それと、お茶をお願いします……」 「はい、ただ今！」 篤史は急いで起き、ローブを着て言った。テーブルの家の電話を手に取る。すぐ嬉しそうな返事とともにきびきびした足音が遠ざかっていった。前の執事のケマルが獄に繋がれた後、アリがその地位についたのだ。もともとファイサルはアリの方を信頼していたし、事実上この邸の雑務を取りしきっていたのは彼だったので、邸は以前よりずっと手が行き届き、明るく居心地良くなっている。 そして、篤史の身の回りの世話は、ファイサルの意向もあって彼が一手に引き受けていた。本来ならこの国では、身分の高い者やその客人はもっと多くの従者にかしずかれているのが普通らしいが、篤史はそういったことがどうにも苦手で、ファイサルの気遣いに感謝していた。 「うん、大丈夫だよ、前島。えっ!? 良かった。じゃ出来るんだね！ これから行くから……」 電話してきたのは、今日は早番で研究所に出ている後輩の前島だった。知らせに思わず顔が輝く。 「お早うございます。ファイサル様、アツシ様。朝のお茶をお持ちしました」 と、電話を切った時、アリがワゴンを押して来た。二人に笑顔で告げ、窓を開ける。ファイサルは朝、家で濃いめの紅茶だけを飲み、仕事前に軽く食事する習慣で、篤史も同じになっていた。 「ああ、ありがとう。アリ……」 篤史は頬を染めた。未だに、彼にアツシ様、と言われるのが恥ずかしいのだ。だがアリは、ファイサルが篤史と想いが通じ合ったと知ると、ためらわずファイサルと同じように敬語を使って接するようになったのだった。しかも、そうするのが嬉しくてたまらない様子である。 「そういえば僕の書斎の整理を、随分きちんとしてくれたね、本当にありがとう」 「わ、お気に召していただけましたか？」 パッとアリが顔を輝かせる。自宅でも研究が進められるようにと、ファイサルの命令で広大な邸の一角に、篤史の為の書庫と書斎を作ったのだが、アリの手配で大変行き届いた部屋になったのだ。 「うん、日本にいた時よりずっと広くて便利になって、助かってるよ。それと、お庭のことも色々ありがとうね。どうかお手伝いしてくれた皆さんにも、お礼を言っておいてくれないかな」 「はいっ！ アツシ様が喜んでくださるなら、皆嬉しいです！ あの、そろそろお召し替えを……」 「──まだだ」 ふいに後ろから声が響き、同時に温かく力強い腕が絡みついてきて、篤史は身を竦ませた。 「ファ、ファイサル……？」 驚いて振り返ると同時に、唇をふさがれる。そして指が白い肌の上を這い、愛撫し始める。アリの前でそんなことをされて、篤史は真っ赤になった。 「ちょ、ちょっと待っ、ん……」 「あと三十分ほど待っていろ、アリ。まだ間に合うはずだ」 ファイサルは愛撫の手を止めないまま振り返って言った。篤史は慌てて首を振りかけたが、既に彼の愛撫に慣れた身体は速やかに反応し、熱を帯びて震えてしまう。アリは少し困ったような目で二人を見たが、篤史も愛撫されながらなんとか頷くのを見て苦笑し、一礼して部屋を出ていった。 「ファイサル、明るいよ……」 朝の日差しが降りそそぐシーツの上に横たえられて、篤史は頬を染める。 「明るいからいいんだ。お前の肌……日に光って、とても綺麗だ」 「何言ってるの。それに今夜は日本企業の皆さんと、パーティがあるじゃないか。僕も出るし……」 ハムシーンは今、豊富な資源と、更に観光業を基盤に、日本との経済提携を急速に進めている。当然、国家の重臣で自らも大企業の経営者であるファイサルの元には、山のようなオファーが押し寄せていた。ファイサルは今夜、篤史とともにその中の幾つかの代表者と会う予定だったのだ。 ──だから、いつもより早くファイサルと一緒にいられると思って嬉しかったんだけど……── だが、篤史の言葉にファイサルは何だかムッとした顔になり、篤史の身体に覆いかぶさって再び深くキスをすると、激しくその身体を愛撫し始めた。そうしながら聞いてくる。 「今日、会うのは十社だったか」 「ううん。十五社だよ。増えたんだ、光栄なことだよね。それに、僕の研究に興味を持ってくださった企業からオファーがあって……。僕も、報告したいことが出来たし、…あっ……！」 とたん、ふいに彼が顔をしかめ、いきなり両手首を掴みシーツに磔にしたので篤史は息を呑んだ。 だがその力強い手の感触と、見おろす熱い視線にぞくぞくする。彼に支配されている、という感覚がこみ上げてくるのだ。それは身体を速やかに反応させ、篤史は頬を染めた。四肢を押し広げさせられているので、そんな自分を隠すことも出来ない。それどころかさらに感じてしまう。 ──僕はやっぱり、少しおかしいのかな、こうされるのが心地いいなんて……── そう思いながらも藍色の瞳に見おろされると、篤史はただもうぼうっと見とれてしまうのだった。 「……！」 と、ふいにファイサルが顔をくしゃくしゃにしたかと思うと、いきなり篤史の身体に覆いかぶさり、激しく胸の突起を吸い上げた。篤史は思わず身体を撓らせ、甘い声をあげてしまった。 「ファイサル、だ、だめ、そんな……あ、あっ……！」 片手が手首から離れ、牡茎を握られて篤史は震えた。彼の愛撫は激しいのに優しく、手のひらで繰り返し揉みしだかれて牡茎が透明な液体を溢れさせ始める。奥の秘孔にも指が延び、ほぐされた。 「感じているか、アツシ……」 けれど、ファイサルに真剣な眼差しでのぞき込まれ、もうどうしようもなく身体が熱くなる。 「俺にされて、快いのか、気持ちいいのか、アツシ……！」 切羽詰まった声で、たたみ込まれるように聞かれ、篤史は目を瞠った。気持ちいいに決まっている。彼に抱かれたらどんな時でもそうなのだから。だがファイサルの表情は、恐いくらいに真剣だった。そこに子供の頃の、自分にすがりついてきた彼の姿がだぶって、篤史は思わず微笑んだ。 ──返事のかわりにそっとファイサルの唇に口づけし、舌を絡ませる。彼が目を瞠る。そのまま両手が篤史の背に回され、強く引き寄せられる。篤史も彼の背に両手を絡めた。二人が密着する。 「愛している、アツシ」 「僕もだ、ファイサル……」 心ゆくまで唇を貪った後で、ファイサルがそう囁いた。篤史も荒い息の下で答える。その言葉に、彼は抱き合った姿勢のまま、篤史の足にそっと手をかけ、広げさせ、自分の雄根を打ち込んできた。 篤史は息を呑んだが、既に開きかけていた身体は歓喜の声をあげ、彼を受け入れた。夢中で彼にすがりつく。ファイサルの雄根は彼の若さを示し、精錬されたばかりの鋼のように熱く、固かった。 「あ、あっ、ファイサル……」 「アツシ……！」 全身でファイサルを感じ、篤史は身を竦ませた。ファイサルを受け入れているところから強い快感がこみ上げ、全身に歓びが駆けめぐる。牡茎はファイサルの引き締まった腹部にこすられ、既に熱くそそり立っていた。そこへファイサルがさらに篤史の身体を引き寄せ、身体を押し進めてくる。 「あ……！」 篤史はもうこらえることが出来ず、達してしまった。恥ずかしさに頬が染まる。だが、ファイサルはそれを見て微笑むと、さらに激しく篤史の身体を愛撫し始めた。 ──やがて、ファイサルが身を起こした時、篤史はシーツにぐったりと横たわり、身動きも出来ないくらいになっていた。起きたばかりで、三度もいかされてしまったのだ。 「すまん。大丈夫か、アツシ」 「う、うん。ちょっとだけ休めば……。僕は君よりも後でいいし」 「もう少ししたらアリを呼ぶからな。俺はこのまま出かける」 急いで身支度を整えながら、ファイサルが気遣わしげにのぞき込む。篤史は真っ赤になり、首を振った。歓んで彼を受け入れたのは自分なのだ。彼は身支度を済ませると、篤史の身体を清潔なシーツでくるんでくれた。ファイサルはアリ以外の使用人に、篤史の世話をさせたがらないのである。 「大丈夫だよ、ファイサル。忙しいんだね」 もしかして、自分のせいで遅くなったのかな、と篤史は心配になった。罪悪感に苛まれる。 ──何やっているんだ、僕は。年上のくせに……！── 本来なら彼をたしなめるべきなのに、夢中で抱かれてしまうなんて。なんて、情けない……。 「あの、無理しないでね、ファイサル。僕のことはどうか気にしないで、ビジネスの方を先に……」 篤史はそっと言った。と、戸口に向かったファイサルがいきなり振り返ったので、どきりとする。 「無理なんかしていない。アツシ。それともお前はいやなのか？」 ファイサルは再び近づいてくると、間近で篤史を見つめ、低い声で囁いた。 「ち、違……」 その瞳にまた魅せられてしまい、篤史はどぎまぎしながら首を振った。ファイサルはもう一度、そんな篤史に深く口づけすると、名残惜しそうに見つめ、それから身を翻して出ていった。 黒い、簡素だが最上質の綿のローブにカフィーヤ、それに頭の金のイカールが、精悍な容姿と藍色の瞳を一層際立たせている。篤史は甘い吐息をついて半身を起こし、ほれぼれと彼を見送った。 「あ……」 ──その時、ファイサルの肩越しに、アトリウムから中庭への入り口が見えた。 夢を思い出し、篤史は思わずそちらを見た。けれどそこにあの白いつるバラは咲いていなかった。 軍務大臣となり、父の所有していた油田の権利を取り返すと、ファイサルは首都ハイファの自宅のあった場所に、以前と寸分違わぬ邸を建てさせたのだ。だが、内戦で何度も焦土と化した為、一帯の土壌が変質し、どうしても育たない植物が幾つかあった。つるバラもその一つだったのだ。 植物学が専門の篤史は、アリからその話を聞いて、ファイサルに内緒でこっそり庭の土地を検査したのだが、やはり、バラを育てるのは事実上難しいことが判った……。 「アツシ？」 ファイサルがまた心配そうに、篤史を振り返って見つめる。慌てて篤史は笑みを浮かべた。 「なんでもないよ。行ってらっしゃい、ファイサル」 |