| 「──！」 長い長い口づけからようやく解放された時、雅哉は気が遠くなってしまいそうだった。かすむ瞳を懸命に開き、晃の顔をじっと見つめる。和服用のコートと、紬の着物を通して全身に温もりを感じた。 「雅哉……」 彼の声と共に我に返る、夕方、パリのシャルル・ド・ゴール空港のロビーは賑やかだ。 ──僕、なんてことを……！── そんな中で彼に抱きしめられ、キスまでしたことに頬が染まる。それでも身体も目も離せない。いや、離れたくなかった。一緒にいられるのは僅か二時間で、後一ヶ月は逢えないのだ。 出会ってから四年、第一線の報道カメラマンである晃は、東欧のある国で長期の取材を終え、帰国の途中だった。そして日舞白鷺流師範の雅哉は、イギリスでの公演に赴くところである。お互い飛行機のトランジット（乗り換え）の待ち時間を利用しての逢瀬だった。 二ヶ月ぶりで会った晃は、髪がやや伸び、頬が少しそげていた。それがジーンズと黒のＴシャツ、無雑作に巻きつけたマフラーにアーミーコートという服装と相まって、記憶より更に精悍でときめいてしまう。 「晃さん……」 どうしよう、と思った。仕事に差し障らない限り、殆ど毎日お互い電話もメールもして連絡していたのだ。けれど直に会い、触れ、その香りをかいだら、もうどんなに彼を求めていたか完全に思い知らされた。もっと強く、深いところで彼を感じたくてたまらない。けれど二時間でそれはとても無理だと思い、雅哉はただ震えながら晃を見つめていた。 「──行こう」 その時、晃が不意にきっぱりと言った。肩を抱き、早足で歩き出す。彼もまた、食い入るように雅哉を見つめていたのだ。雅哉は驚いたが、素直に従った──彼を、見つめたままで。 × × × 「え……？」 すぐに、空港の一角の、豪奢だが、見るからに堅固な造りのドアの前に出た。両脇に銃を下げた警備員が並んでいる。驚く雅哉をよそに、晃は堂々と肩を抱いたまま、ごく自然に流暢な英語で話しかけた。すると彼らはすぐうなずき、敬礼さえしてドアを開けた。中はゆったりとして、一流ホテルのスィート並みの設備が揃っていた。雅哉は呆然とした。 「晃さん、ここってもしかして、ＶＩＰルームじゃ……」 背後でドアが閉ざされ、おずおずと尋ねると、晃はこともなげにうなずいた。 「ああ。ここならずっと、誰にも邪魔されずにいられるだろ。飛行機の時間が来るまで、絶対に声をかけるなと伝えた。だから……」 「晃さんっ……！」 優しく、少しだけ得意そうに笑う晃に雅哉はしがみついた。二人きりで過ごせると聞いた時、ただ嬉しさだけがこみ上げた。抱きしめ返してくる晃に、雅哉は自分から口づけた。 「──そういえば晃さん、どうしてここを知っているの……？」 炎のような一時の後、荒い息の中、ようやく聞くと、晃は照れたように微笑んだ。 「取材先でその国の王子さんと知り合いになってな。帰りの飛行機をやりくりしていたら、パリで逢うなら使えばいい、と手配してくれたんだ。でなきゃとても無理だった」 思わず目を見張った。晃さんは何気なく言っているけれど、それは凄いことじゃないのか。それに彼が現地でレポートする姿も、今の応対も本当に格好良かったし……。 ふと切なくなる。こんな時彼より年下で、彼とは全然違う世界に属している自分を思い知らされる。だから少しでも彼に近づきたくて、踊りを頑張って、海外公演のお話も受けたのだけれど……。 その時、ふいに晃が笑みを消し、ぎゅっと抱きしめたのではっとした。 「──そんな顔、誰にも見せるな」 「えっ……？」 「そんな着物姿で……お前はすごく目立ってたんだぞ！ しかもこの後海外公演だなんて……！」 耳元で熱く囁かれ、そのまま噛みつくように口づけられた後、強く抱きしめられる。何故かわからないが、彼に貪るように求められ心から嬉しかった。すぐにまた彼の手や唇、そして情熱の証だけが世界の全てになった。 × × × ──そして、時間は瞬く間に過ぎた。 「……まだ寝ているといい、雅哉、お前はまだ、待ち時間があるんだろ？」 「ううん、あなたと行く。……ずっとあなたを見ていたい……」 足元がおぼつかない雅哉を晃はまた堂々と抱きかかえ、部屋を後にした。ロビーまで出ると、晃の飛行機の最終案内が聞こえてきた。 「ごめんな……。辛かったか」 気遣うようにのぞき込まれ、雅哉は強く首を振った。頬を染めながらも微笑む。 「嬉しかった。あなたが僕の中に残るみたいで……」 とたん、また力一杯抱きしめられた。もう人目もはばからず口づけする。 「愛してる……雅哉」 「僕も。晃さん……」 数え切れないほどの口づけで、お互い熱を帯び、腫れた唇でそうささやきあう。 晃の姿がゲートの向こうに消えるまで、二人は視線を合わせたままだった。 × × × 「……」 彼を見送った後、雅哉はそっと胸に手をあてがった。恋しさと歓びとが、同時にそこに息づいている。 ──この気持ちで『鷺娘』を踊ろう……── 公演の演目を想い出す。恋に身を灼く鷺の化身の娘。彼女の想いは今、痛いほどわかる。 ──せめて踊りを通じて、晃さんに相応しくなりたい。あなたがどこにいても僕が目に入るくらいに……── 澄んだ空気の夜の中、晃の乗った飛行機の灯りが遠ざかるのを見送りながら、雅哉はそう心に誓っていた。 ──愛してる。晃さん……── ＥＮＤ |